「きっと理想が高いんですね」
これまでフォローだと思って受け取っていた言葉だった。
「あなたは素敵ですよ、でもあなたに見合う人がいないんですね」
そんな優しい言葉だと思っていた。
他人に言う時は、そういう意味で使っていたのも確かだ。
でも最近は「きっと理想が高いんですね」の言葉に
私がうまくいかない理由の全てが詰まっている気がしてしまう。
私は理想が高いのかもしれない。
その自覚がある。
しかし、私の許容範囲は、恋愛感情が芽生えた途端にゆるゆるになる。
つけていた条件が吹き飛び、何でも許し始める。
恋愛感情、恐るべし。
全ての思考が、理性が、どろどろに溶けていって
未来が無くても、何かが欠けていても、幸せになれる気がしなくても
「私、この人がいい」と馬鹿みたいに相手を欲する。
大人がお馬鹿になれるのなんて、お酒を飲みすぎた時か、年を取るごとに滅多に出来なくなっていく恋愛の最中でしかない。
私は、結婚したいと言いながら、この馬鹿になっている自分が好きで、馬鹿になるほど夢中にさせてくれる相手のことも好きでたまらない。

しかし、いつまでも夢の中にいるには年を取りすぎた。
今すぐにでも結婚したいと思っているのだから、恋愛感情に引っ張られている場合ではない。
気持ちを切り替えて相手を探し始めると、好きじゃないのだからどうしても条件重視になってしまう。
そして条件で絞っていると、少ないが数十人は出てきて、
その中で何人かは私を好きだと言ってくれる時もある。
私が好きになれば解決する。
「理想の条件」は満たしていて「結婚出来そう」な男性に「好かれている」
これ以上の望みはないだろう。
しかし、理想通りの条件の人が現れても好きになることが出来ない。
それは、決して自分の若さや美しさに可能性を感じているからなんて希望のある理由ではない。
もう疲れてへとへとで婚活する気力などなく、嫌な言い方をすれば市場価値が下がっているのを実感しているのだ。
コロナ禍でチャンスは減り孤独は増え、数ヵ月も数十日も惜しく、一刻も早く結婚を決めたいと思っているのだ。
時折、髪の毛に白い毛が混じっていて、鏡の中に映る顔には線が入っているように見えて
お世辞の「可愛い」さえもどんどん遠ざかり、「キレイ」にはこれまでもこれから先もなる事はできない。
自分のことは客観的に見て、たいしたことないって分かっている。
お相手は、高身長高学歴高収入大都会にある一軒家が実家。
私のことが好きで優しい。若くて清潔感があって連絡がマメ。この条件で、私と結婚したいと言ってくれる人は、もう現れない。
頭はOKサインを出している。むしろ土下座で頼みこめと言っている。
しかし、心が拒絶している。
果たしてこれは理想が高いのからなのか・・・。
なんなのか?
理想が高いのではなく、受け入れる範囲がとても狭いのだ。
それは心が狭いのかもしれないと思う。
心が広い人は相手の良いところを見つけるから、人のこともすぐに好きになれる。
私は結局わがままでこだわりが強く器の小さい人間なのだ。
自虐ではなく、自己分析をした結果そう感じてしまった。
「これ以上高収入の人と出会えることはない」
「これ以上かっこいい人に好かれるわけがない」
それに関しては、そんなことはない。
条件だけで絞れば出会えると思う。
でも、その人が全部失くした時にも隣にいたいと思える人は中々いないし
部屋で笑いながら素を出して過ごせる関係になるにはどうしても時間がかかる。
学生の時に一緒に過ごした彼のように信頼ができて楽しくて相手も自分もまっさらで。
そんなの無理に決まっている。
無理に決まっているのに、求めてしまうから。

「婚活しているけど結婚出来ない人は理想が高い」と言う言葉は嫌いだ。
そうか?と、首をかしげてしまう。
だって理想の人に会えてもいるし、好かれてもいるんですよ。
そんな反論を心の中で唱えている人は私以外にもいないだろうか?
「婚活しているけど結婚出来ない人は理想が高い」
けれど、ある意味で首が取れるほど頷ける言葉だったりもする。
自分の心は鎖国しているのに、好きになれて好きでいてもらえるのを望むなんて。
自分の年は取っているのに、昔みたいに楽しもうとしているなんて。
早く結婚したいと言いながら、何より恋愛がしたいなんて。
私が求めているものは、きっと理想が高いんですね。
私にはこの言葉がもっと深い意味を持って心に沁みていく。
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