私が自分のことを一番不思議だと思い、自分自身でさえ理解できないのは、傷つけられた瞬間に相手を嫌いになれないことだ。
当たり前だけど、みんな自分にやさしい人が好きなはずだし、自分のことを好きじゃない人のことは嫌いだ。
だって一緒にいて不快だから。
友達が前に教えてくれた。
人は「快」と「不快」どちらが上回るかでその人を好きかどうか判断するらしい。
そうだとしたら、好かれてないことも、冷たくされることも、気まぐれに振り回されることも、全部「不快」だし
嫌いになって当然であろう。
それなのに、なぜ。
私はその人が与えてくる「不快」より、その人といられる「快」のが上回ってしまうのだろうか。
反対に、私なりに楽しい場を提供しようと心掛けていても、相手が私に対して、「不快」が上回ってしまうのはなぜだろう。
私は自分の心が傷つけられた時に、すぐにその恋から手を引ける女がいい女だと思う。
「あ、そう。じゃあいいよ」と簡単に見切りを付けられる女になりたい。
傷つくことが分かっている恋に使っている時間などないのだから。
今度こそ傷つかない恋愛をしようとしても、気づいたら傷ついている。
ほら「不快」に偏ってきたからやめよう。
と思うのに、どうしても心がやめてくれない。
結局幸せになれる人は、自分に良くしてくれる人を好きになれる人なのだなと、誰かの幸せを横目に「不快」と「好き」を混ぜた恋を続けてしまうのだった。
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