相談しても愚痴を言っても悩みは解決しない。
なのにどうして人に話すのだろう。
自分の中に溜めこむよりは楽になるからとよく言われている。
確かに自分の感情に誰かが共感だったり、肯定してくれればなぜか気持ちは楽になる。
でも詰まるところ、
私は言葉で救われたがっているのかもしれない。
傷ついた時に「私を救ってくれる言葉」を探してしまう癖がある。
私を救う言葉はどこに転がっているのか分からないので、人と話したり、少年漫画を読んだり、知恵袋を読んだり、Twitterを眺めたり、本を読んだり、歌を聴いたり、映画を観たりする。
同じ経験をしている人を探したりもする。
同じ思いをして苦しんでいる人がいるのを知れば私だけじゃないんだと安堵する。その人の傷に救われてしまうのは失礼な気もするけれど。
そして、反対にやたらとポジティブな人の言葉に笑ってしまい元気になることもある。
暗い言葉にも明るい言葉にも救いはあるのだ。
救われた言葉をネットで見つけたらスクショして保存しておく。
見返すかは分からないけど、持っていることも忘れるお守りのようなものがあるのは心強い。
ドラえもんの「そうともかぎらない。未来なんてちょっとしたはずみでどんどん変わるから」に希望を持つし、
斎藤一人の 「すべての人間関係は「相手に期待しない」「相手を変えようとしない」の修行です。」に納得するし、
マリリンモンローの「人があなたから離れるとき、無理に止めないこと。あなたの将来は、離れていく人の先にはありません」に追いかける足を止められるし、
匿名の人が掲示板に書いた「人との出会いを定期的に確保しておくべき。いかに肉体的、精神的に参っていたとして自分の殻に閉じこもるのはよくない。
思いがけないところに機会は転がっている」に頑張ろうと思えるし。
「人間万事塞翁が馬」のことわざで、人生は幸せが不幸に、不幸が幸せにいつ転じるかわからない と思えるし
進撃の巨人のアルミンの「結果を知った後で選択をするのは誰でもできる。後で「こうすべきだった」って言うことは簡単だ」にうなずくし、
失恋ショコラティエの紗絵子さんの「それにどんなに大好きな人だって片想いならいつかどうでもいい人になりますよ。だってこっちを好きにならない人でしょ?だったらそんなの存在しない人と同じだもん」が刺さるし。
北斗の拳のラオウの「くどい!!誰を愛そうがどんなに汚れようがかまわぬ 最後にこのラオウの横におればよい!」でくだらない嫉妬をやめる。
雨宮まみの「私は自分の孤独が、もう誰と恋愛をしても埋められないほど深くなっているのではないか、と思う」に泣いてしまうし
山田詠美の「約束って、未来のためにあるんじゃないのよ。今のこの瞬間を幸せにするためにあるのよ」で果たされなかった約束も許せる。
ナラタージュを観て「あなたといると苦しすぎる。でもあなたなしでは生きていけない」に共感しすぎて苦しいし
宇多田ヒカルのThis is loveの歌詞「痛めつけなくてもこの身はいつか滅びるものだから甘えてなんぼ」は座右の銘にしている。
峰不二子の「言葉が強い女が強い女じゃないの。言葉が強いのはただのきつい女。強い女っていうのはくじけない女のこと」でくじけずに生きていけるし。
Backnamberのハッピーエンドを聴いて「あなたが勇気を出して初めて電話をくれた あの夜の私と何が違うんだろう」にほんとにねと思うし
クレオパトラの「国を支配しているのは男。その男たちを支配しているのは私」に強気な気持ちになってくる。
ざっと挙げてみたが、これはほんの一部。
沢山の言葉に日々救われる。
私を傷つけるのも言葉だけど、私を救うのもやはり言葉なのだと思う。
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