私が愛情だと思って相手に与えてきたもの全部ズレていたんだな
最近しみじみとそう思うのだった。
私は割と尽くすほうだと自分では思っていたし、好きになった数少ない相手には自分なりに限界まで愛情をかけてきたつもりだけど 、それがズレていた。
愛情の大きさって、与える方じゃなくて、与えられる方が決めるものなのだ。
私自身、「そういうことがしてほしいわけじゃないんだけどな」そんな愛情を相手にかけられることがある。
ダイエット宣言中、いらないと言っているのにお菓子を毎度買ってきてくれる彼氏がいた。
いらない、それよりもっとしてほしいことがある。とその彼には思っていた。
それに「お菓子をくれるなら調味料をくれる方がうれしい」とハッキリ伝えたこともある。
でも、彼はずっと私にお菓子を買ってきた。
私はその度に嫌な気持ちになった。
お菓子は好きだ。好意はもちろん嬉しい。
でも、その時の私は欲していなかった。
伝えたはずなのに分かってもらえないことに悲しくなったのだ。
彼が「彼女」に与えたいものがお菓子だったのだと気付いた。
塩やドレッシングを買い与えて喜ぶ「彼女」より、チョコレートやクッキーを買い与えて喜ぶ可愛い「彼女」が欲しかったんだろう。
あの時のモヤモヤ感を自分も他の人に与えていたことがある。
別れた後、元カレから言われた言葉。
「あのさ、家事してくれること全然有難く思ってなかったから。 手料理とか必要としてなかったから」
この言葉は、ほとんど殴られたような衝撃を私に与えた。
でも、そうだね、私が手料理を提供したいと思っていただけで、彼が求めていなかったのなら、私の与える愛情は間違いだったというわけだ。
私の肉じゃがも、ハンバーグも、豚の角煮も、彼が帰宅する瞬間に合わせて炊いたお米も全部間違いだったというわけだ。
それよりも仕事を頑張ったり、精神的に自立していて強い姿を彼には見せるべきだった。
愛してる愛してるとしがみついて何度も言い聞かせて無理やりに頭を撫でて可愛い可愛いと相手の意思確認なしに抱きしめて可愛がるような愛し方だったのかもしれない。
私の愛情とは結局自己愛なのか。
重くてどろどろで自分のことしか見ていない。
「どうしてよ、こんなに愛しているのに。愛してるんだから結婚してよ。なんでもするよ。愛させてよ。 私のことも愛してよ。私にも与えてよ与えたんだから」
私は私の欲しいものを好きな人からはもらってきた。
だから好きだった。
私は私の欲しいものを好きな人にあげられなかった。
だから私から離れていった。
その事実は、私の愛情に対する自信を失わせて、これから人を愛すことをやめてしまいたいほどに辛くて、私を深く傷つける。
でも、いつか、噛み合うのかな。
私が愛情だと思うものを愛情だと受け止めて喜んでくれる人もいるのかな?いるよね。
自己満足にならないで、私の愛情が正しい形で届くよね? 会ってない誰かに問いかける。
その時は、私が持ってる愛情全部あげるね。 あなたが思っている形で届くように努力もするね。
間違った愛情の歴史を振り返りながら、そう誓いを立てる。

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コメント
とても心に響きました。
俺も彼女が欲しいものを与えられなかったんだと気付きました。
更に俺の欲しいものも彼女から与えられることはなかった。
好きだという感情と愛情に見合う行動を一致させることができたなら、まだ続いていたんだろうなと思うと、悲しくなります。
でも終わったものは仕方がないですよね。
また愛せる人ができたら、気をつけたいと思います。
ありがとう😊